JEONGSEON COUNTY

旌善へようこそ 文化遺産

旌善アリランの特色

旌善アリランの特色

『旌善アリラン』は韓国のアリランの源流であり、代表的な地方民謡である。

旌善アリランには山間地方の情緒が溢れている。旌善の人々は古くから、寂しく辛い日々の生活を旌善アリランの調べで表現してきた。人里離れた山奥で暮す寂しさ、嫁ぎ先で暮らすことの辛さ、若すぎる夫や年老いた夫に対する恨み・恋しさなどを、皮肉なユーモアを交えつつ渋い節回しで歌うことで自らを慰めながら暮してきた。

旌善アリランは、歌詞が長くゆったりと続く『キンアリラン』と、長い辞説(語り)が速いリズムで続く『ヨックムアリラン』で構成されている。キンアリランをやや速いリズム『チャジンアリラン』で歌うこともあるが、一般的な旌善アリランの構造は基本的にキンアリランである。


雪になるか雨になるかどしゃ降りの長雨か
飛鳳山(ピボンサン)のふもとに薄霧がかかる


アリラン峠を越えさせておくれ


旌善アリランの歌詞は、その多くが男女間の愛と恋しさ、嫁ぎ先で暮らすことの辛さや悲しさなど、自分のことや暮らしに関することから始まる。一人で歌うときは物悲しさが伝わるようにゆっくりとキンアリランの調子で歌うが、何人かで順番に歌うときはユーモラスで露骨な歌詞をチャジンアリランの調子で楽しく歌った。キンアリランの歌詞の中で表現しきれない人生への嘆きは、辞説(語り)の長いヨックムアリランで歌った。


うちの旦那さまは出来が良いのか悪いのか
あばた面に屈伸のできない脚と腕
ネズの背負子に銅銭三両担いで
江陵(カンヌン)や三陟(サムチョク)に塩を買いに行きなさった
白茯嶺(ペクポンニョン)は険しくともどうか無事にお帰り下さい



前の部分では語りかけるような調子で歌い、後の部分では長くゆったりとしたキンアリランの調子で歌うヨックムアリランは、おもしろみを出している。
旌善アリランは、他の地域のアリランに比べて歌詞に重きがおかれている分、その内容もさまざまである。長い年月にわたってその時々に作られ、手直しされてきた旌善アリランの歌詞は、音源があるものだけでも1万種類以上に上り、世界の民謡の中で最もバラエティーに富むと評価されている。その歌詞には、貧しいながらも楽天的に暮してきた旌善の人々の気風が時代ごとに異なった色合いで映し出され、歌い継がれている。

旌善は奥地という地理的特性のため、昔から他の地域との文化的交流がほとんどなく、外部と断絶した中で独特の山間文化を持つようになった。そこに住む人々の暮らしの風情は、旌善アリランの音楽的な側面、つまり旋律構造と音域によく現れている。

旌善アリランの旋律に着目してみると、江原道(カンウォンド)と慶尚道(キョンサンド)の民謡によく見られる「メナリ調」が基本となっている。ほとんどの民謡が「ラ」または「ミ」の音で終わるが、旌善アリランは「レ」で始まって「ミ」で終わる。サビの部分の「アリ~~ラン」は「ミ・ラ・ソ・ミ」となっており、4度上がってから徐々に下がる旋律は「メナリ調」の典型である。最後の部分の「越えさせておくれ」も、その前の「アリラン峠を」で一旦上がってから下がって安定する旋律となっている。

旌善アリランの音域は短7度(Dominant 7)と比較的狭い。『江原道アリラン』は短8度、『密陽(ミリャン)アリラン』は短11度である。最高音と最低音の幅がさほど大きくなく、旋律がゆったりとして単調であることから、耳慣れると誰でも簡単に即興で歌詞を付けることができ、旌善アリランは「歌詞を付けるだけで歌になる」といわれている。これは、他の民謡に比べ土俗的で、生活から生まれた民謡として受け継がれてきたことを示す証拠でもある。

旌善地域でおじいさん、おばあさんが歌うのを聞いていると、ほとんどの場合とてもゆっくり、ゆったりと口ずさんでいる。そうするうちに何人かが一緒に歌うようになったり、盛り上がってきたりするとだんだん速くなる。旌善アリランは、ゆっくり歌うと口音に近く、速く歌うと西洋音楽のラップ(Rap)に近い。

旌善アリランを聞く人は、時には悲しく、時には楽しく感じる。一つの歌にさまざまな感情を感じるのは、旌善アリランがそれだけ多くの情緒を内包しているからである。

旌善アリランは生と死、愛と別れ、挫折と克服、地道さと根気など、人々の人生をすべて映し出している。旌善という孤立した空間で旌善アリランを歌うことは、自分の存在の確認と力説を通じて現実を克服しようとする意志が込められているのである。

旌善の人々にとって旌善アリランは、歌詞の意味が分からない子どもの頃から口ずさみ、生活の中で自然と聞き慣れて歌うようになった歌である。旌善のどこに行っても旌善アリランが歌われているのは、生活の中で自然に伝承されているためである。

山奥の人々の生活を素朴に表現してきた旌善アリランは、長い年月にわたって自然と韓国の全域に広がり、その地域の文化的特性が加わって別の名前のアリランを生み出した。今のように交通や通信が発達していなかった時代に、旌善アリランは口伝てで広まった。結婚して家を出た男女、歌い手、木材を運ぶ筏師、火田民、行商人など人の移動は、旌善アリランを広める上で大きな役割を果たした。

旌善アリランは、長い年月にわたる伝授と伝承を経て発展してきた。生活の歌であると同時に愛の歌でもあり、喜怒哀楽を盛り込んだ旌善アリランは、1971年12月に江原道無形文化財第1号に指定された。韓国のアリランの中で最初に道指定の無形文化財になったことから、誰でも旌善を「アリランの故郷」と認めるようになった。その後、厳しい状況の中でも旌善アリランのレコード制作、歌詞の確立、旌善アリラン祭の開催、伝承・保存団体の結成など様々な取り組みを行い、その力は多様なジャンルにおける旌善アリランの伝承・保護と創造的継承を通じて基礎を固める契機となった。

このような取り組みにより、韓国のアリランは2012年12月6日にユネスコ無形文化遺産に登録された。これは、アリランが韓国を超えて世界の伝統民謡と肩を並べられるようになったことを意味する。そして、アリランの源流である旌善アリランも、世界の人々に歌われ、感動を与える「韓国の歌」としての価値を評価されるようになったのである。

今日も生活のいたるところで口伝心授(口伝てに心を込めて教えること)で受け継つがれている旌善アリランは、韓国のアリランの保存と伝承の道しるべでもある。

文/秦庸瑄(チン・ヨンソン)(旌善アリラン研究所長)